ヨルシカ『エルマ』と文学
「ノーチラス」は『海底二万里』から生まれた? ヨルシカ『エルマ』に隠された文学の世界
ヨルシカの『エルマ』を聴いていると、まるで一冊の小説を読んでいるような感覚になる。 それもそのはず。このアルバムは、前作『だから僕は音楽を辞めた』の続編として、 n-bunaが物語を書き下ろしたコンセプトアルバムだ。
そして、その物語の中には文学作品とのつながりがいくつも存在する。 今回はその中でも、アルバム最後の一曲「ノーチラス」に注目したい。
「ノーチラス」という名前には、文学作品が隠れている
『エルマ』の最後を飾る曲が「ノーチラス」。 このタイトルを見て、ジュール・ヴェルヌの名作 『海底二万里』 を思い浮かべた人もいるのではないだろうか。
実は、その連想は偶然ではない。 n-buna自身が「ノーチラス」という名前について、 『海底二万里』に登場する潜水艦「ノーチラス号」から取ったことを明かしている。
つまりこれは、ファンが歌詞を読み込んで導き出した「もしかしたら」という考察ではない。 作者自身によって明かされている、明確な文学的モチーフなのだ。
ただし、「歌詞を引用した」という意味ではない
ここは、ヨルシカと文学作品の関係を調べるうえで非常に重要なポイントだ。
「ノーチラス」は『海底二万里』の文章をそのまま歌詞に引用した曲ではない。 関係しているのは、作品に登場する「ノーチラス号」というモチーフだ。
そのため、文学作品との関係を分類するなら、
文学作品からの直接引用 → なし
文学作品をモチーフとして取り入れた作品 → あり
元になった文学作品 → ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』
と整理するのが最も正確だ。
『海底二万里』の「ノーチラス号」とは?
『海底二万里』に登場するノーチラス号は、ネモ船長が操る潜水艦。 海の底を進み、地上の社会から距離を置きながら生きる象徴的な存在として描かれている。
だからこそ、「ノーチラス」という言葉には、 単なる「海」を超えたイメージがある。
地上から離れること。 自分だけの世界に潜ること。 誰かから距離を置きながら、別の世界を進み続けること。
そして、このイメージを『エルマ』の物語に重ねると、 ひとつの興味深い読み方ができる。
エルマもまた「別の世界」を旅していた
『エルマ』は、前作『だから僕は音楽を辞めた』の続編。 前作の主人公である青年から送られてきた手紙に影響されたエルマが、 彼の訪れた土地を辿りながら14曲の音楽を残していく物語だ。
つまりエルマの旅は、単なる観光ではない。
エイミーが残したものを追いかける旅。
エイミーの音楽を聴き、 エイミーの言葉を読み、 エイミーの口調を真似し、 やがてエイミーの生き方まで模倣していく。
その意味では、エルマ自身も現実の世界から少しずつ離れ、 エイミーの残した世界へ潜っていく人物として見ることができる。
もちろん、 「エルマ=ノーチラス号を意味する」 とn-bunaが明言しているわけではない。 ここから先は、作品を読んだうえでの考察だ。
「海底、月明かり」と「ノーチラス」は同じ海底でも元ネタが違う
ここは『エルマ』を深く調べるうえで、特に間違えやすいところだ。
「ノーチラス」のひとつ前には、 「海底、月明かり」 というインストゥルメンタル曲が収録されている。
タイトルだけを見ると、 「これも『海底二万里』が元なのでは?」 と思ってしまう。
しかし、ここは別物として考えたほうがいい。
| 曲 | 関係するもの | 確度 |
|---|---|---|
| 海底、月明かり | n-buna自身の原風景・エルマの物語 | 本人による説明 |
| ノーチラス | ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』のノーチラス号 | 本人による説明 |
つまり、 「海底」という共通したイメージがあるからといって、同じ文学作品が元になっているわけではない。
「海底、月明かり」は、n-buna自身の記憶から生まれた
「海底、月明かり」については、文学作品よりもn-buna自身の記憶が重要になる。
n-bunaがかつて訪れた深いプールで、水底まで潜って上を見上げたとき、 水面から差し込む光や、吐き出した泡が美しく見えたという原風景。
その個人的な記憶が、『エルマ』の物語の中では、 エルマが湖の底から光を見る情景へと姿を変えている。
ここが『エルマ』の面白いところだ。
現実の記憶 → 物語 → 音楽
という順番で、一つの風景が別の形へ変換されている。
『エルマ』は「文学を引用するアルバム」だけではない
ここまで「ノーチラス」を追ってみると、 『エルマ』における文学の扱い方が少し見えてくる。
『エルマ』には、文学作品そのものを思わせる要素が存在する。 しかし、それらをすべて「この曲はこの小説のオマージュ」と単純化することはできない。
文学作品から明確にモチーフを借りているものもあれば、 アルバム全体の物語構造に文学的な思想が影響しているものもある。
さらに、n-buna自身の記憶や実際の旅の風景が、 エルマという架空の人物の物語へと変換されている。
だから『エルマ』は、 文学作品を元ネタ探しするだけでは読み切れない作品 なのだ。
「ノーチラス」は、エルマの旅の終着点なのか
「ノーチラス」がアルバム最後の曲であることも、この曲を特別なものにしている。
エルマは旅を続ける中で、エイミーを追いかけ、 エイミーの言葉を取り込み、 エイミーのようになろうとしてきた。
しかし、アルバムの途中にある「エイミー」では、 エルマが初めて自分自身の音楽を書こうとするところまでたどり着く。
その先に置かれた「ノーチラス」。
それは、 エイミーを追いかける旅の終わりであり、 同時にエルマ自身の物語が始まる地点 とも読める。
ただし、この「ノーチラス=エルマの旅の終着点」という解釈は、 作者が明言した設定ではない。 あくまでアルバム全体の流れから読むことのできる考察として楽しみたい。
『エルマ』と文学作品の関係を整理すると
「ノーチラス」
ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』に登場する 「ノーチラス号」がタイトルの元になっている。
ただし
『海底二万里』の文章を歌詞に直接引用した曲ではない。
「海底、月明かり」
『海底二万里』が元ネタだと断定する根拠はなく、 n-buna自身の原風景とエルマの物語に結びついている。
『エルマ』全体
前作の続編として作られた物語作品であり、 日記・写真・音楽が組み合わさることで、 一つの小説のような世界を作り上げている。
文学作品の「引用」ではなく、文学作品と物語が出会う場所
「ノーチラス」を調べていて面白いのは、 ヨルシカが文学作品をそのまま音楽へ移植しているわけではないことだ。
『海底二万里』から借りてきたのは、 一つの象徴的な名前。
それを『エルマ』という別の物語の中へ置くことで、 「ノーチラス」という言葉に新しい意味を与えている。
だからこそ、 「この曲の元ネタは○○です」 だけで終わらせるのは少しもったいない。
文学作品から何を借り、 何を変え、 それをエルマの物語の中でどう使ったのか。
そこまで追っていくと、 『エルマ』が単なるコンセプトアルバムではなく、 文学・日記・写真・音楽が一つにつながった物語作品 として見えてくる。
まとめ:「ノーチラス」は『海底二万里』への入口
「ノーチラス」に文学作品との明確なつながりがあることは、 作者自身の説明から確認できる。
元になったのは、 ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』。 ただし、歌詞の直接引用ではなく、 作品に登場する「ノーチラス号」というモチーフが取り入れられている。
一方で、その直前の「海底、月明かり」は、 『海底二万里』を元にした曲として扱うべきではない。
この違いを知っているだけでも、 『エルマ』の文学的な仕掛けはかなり面白く見えてくる。
「似ているから元ネタ」ではなく、 「作者が明言したもの」と「そこから読み取れる考察」を分ける。
そうやって一曲ずつ追いかけていくと、 ヨルシカの音楽の中に隠された文学の世界が、少しずつ見えてくる。
この記事の判定
- 文学作品:ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』
- 関係する曲:「ノーチラス」
- 関係:作中の潜水艦「ノーチラス号」がタイトルの由来
- 直接的な歌詞引用:確認できず
- 作者による説明:あり
- 「海底、月明かり」との関係:別の由来として扱う
- 考察:「ノーチラス」はエルマの旅や、現実世界から離れてエイミーの世界へ潜っていく姿とも重ねて読める。ただしこれは考察。

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