それでも、花束を選ぶ──ヨルシカ「アルジャーノン」が教えてくれたこと
ヨルシカの「アルジャーノン」を聴いて、心に残った歌詞がある。
あなたはどうして僕に名前をくれたんでしょう
あなたはどうして僕に心をくれたんでしょう
あなたはゆっくりと忘れていく
一見すると、とても切ない。名前をくれたのに。心をくれたのに。それでも忘れていく。 けれど、この歌を何度も聴くうちに、私は少し違うふうに感じるようになった。 これは、失われることの歌というより、「与えられたものの大きさ」に気づく歌なのかもしれない、と。
名前をくれたということ
名前をくれる、というのは「あなたは私にとって特別だ」と示すことだ。その他大勢ではなく、その人だけの輪郭を持たせること。
『アルジャーノンに花束を』でも、ネズミに“アルジャーノン”という名前がある。それは単なる識別ではなく、存在をきちんと見ているという態度だ。
私たちもきっと、誰かに名前を呼ばれた瞬間、「ここにいていい」と思えたことがある。忘れられる未来があったとしても、あの瞬間まで嘘になるわけではない。
心をくれた時間
心をくれる、とはただ好きだと言うことではない。弱さを見せること。時間を分け合うこと。未来を少しだけ想像すること。それは勇気のいる行為だ。
だから「どうして心をくれたんでしょう」という問いは、後悔ではなく、それほど大きなものを受け取ったという自覚に近い。心をもらったという事実は、その人が誠実だった証でもある。たとえ結果が続かなかったとしても、あの時間は軽いものではなかった。
忘れていくという現実
人は変わる。記憶も、関係も、少しずつ形を変える。「ゆっくりと忘れていく」という言葉には、現実の時間の流れがある。
でも私は思う。忘れていくことと、無意味になることは、同じではない。小説の中でチャーリイは、得た知性を失っていく。けれど、彼が確かに知った感情や経験までなかったことになるわけではない。
私たちの関係も同じだ。終わったからといって、価値がゼロになるわけではない。
「花束を」という選択
『アルジャーノンに花束を』の最後に残るのは、花束を供えてほしいという願いだ。花束は、悲しみの象徴でもあるけれど、同時に「大切に思っていた」という証でもある。
ヨルシカの歌詞も、問いかけで終わる。答えは示されない。でも私は、そこに前向きな余白を感じる。
忘れていくかもしれない。それでも、名前をくれたこと、心をくれたこと。その事実に、花束を置く。それは過去にしがみつくことではなく、「ちゃんと愛していた」と自分で認めることだ。
まとめ
この歌は、失われることの悲しみを描きながら、それでも人は誰かに名前を与え、心を差し出してしまう存在だということを教えてくれる。忘れられるかもしれない。それでも与える。それは弱さではなく、人が持てるいちばん誠実な強さなのだと思う。
だから今日も、私は花束を選ぶ。終わった関係のためだけでなく、自分が確かに誰かを大切にした証として。

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